カンビールノート

毎日むずかしくてむずかしくて本当にたのしい

誠実

偽りがなく、まじめなこと。真心が感じられるさま。


辞書が言っていることがひとつも分からなくってびっくりしている

いつわりがなく、まじめで、まごころが感じられるさま?!?!

なんで調べたかって誠実でいたいからなんだけど。いつわりがなくまじめでまごころが感じられるよう振る舞うということだとは…よく意味もわからず誠実になりたがっていたのね


大好きだと言いたいだけだよ

いつわりなくまじめに。まごころはよくわかんない。なんか嘘つくなってことでいいよね?あーそれだね。嘘つくなってこと、上手く立ち回るなってこと。


窓の外暑そうな夏


腹を割ったら別の人生


ともだちチャンのお腹の中にいるのが男の子だってわかった途端にものすごい現実味を帯びた、そのひとが生まれてやっていくってことが。

ふだんクチクチうるさいわたしでも性別=役割=社会での立場ってなったとたんにそれが「現実」になるんだから、ホントどーしよーもないなって。

妊婦ちゃんの水着はカワイイから絶対着てねと言っておいた。「あの子は男の子のお母さんになるのか」という、ホントどーしよーもない感想を持った。そして泣いてしまうほどちょーウレシイ、あの子が男の子のお母さんになるのは。どうしてだろうね。

あのへん


「ほらあのへんだよ、8メートルってあのへん」とか、「あの星、あの3つ並んでるのの右上」とかって指をさした先に見てるものって違う可能性が大いにあるじゃない

おんなじ物をおいしいねといっている時、おいしいと感じてる理由は全然違うかもしれないじゃない

なんかそれでもいいってのが信じるってこと?って感じがある


きょうは昼間に暑そうな空を窓越しに見ていたのが気持ちよかった。あと夕方外に出たらとても完璧な夕方だった。あじさいが枯れ始めているなと思った。勝手に梅雨明け宣言した。だれにもおやすみなさいといわなかった。そんな1日だった。

上手にやろうとする


上手にやろうとすると満足できなくって、上手にやらないと誰かが傷つくと思い込んでいるけれどなにしてたって誰か傷つくと思うとなんでも言ってやろうという気になる


そもそも上手にってわたしが保持している境目の少ない脳みそで考えるのそうとう無理あるし、日々感傷に浸って泣かないので精一杯だっつーの。毎朝起きて働いてるだけでほめてほしいのに、さらに上手にってあーたそれは無理よ


でも迷惑かけたいわけではないのよ、やさしくしたいだけなのねほんとに

雨が降ったみたいな話してたいだけ


雨が降ったみたいな話で思い出したけど、わたし気象の変化を人とシェアすることにめちゃめちゃ幸せを感じるからお客様との世間話が本当に好き

好きな人たちには気象の変化をLINEしがち。愛してるって意味だよアレは。もしくは愛してねって意味だ

ほんとのこといってよ


なんでほんとのこといってくれないのってすごいよく思うんだけど、ほんとのことがほんとのことだと信じられるかどうかってかんぜんにわたしの問題


どっかから急に「この人わたしにほんとのこといってる」って思うんだけど、それがなんでそう思えるのかはまだわかんない、顔とか?なんかそういう瞬間があるはずなのに忘れちゃう


でもぐちゃぐちゃやらなくてもわたしが会えてうれしい人はわたしのこと好きなはずその人なりに!だってうれしそうな顔してたもん!と思う夜あり

わたしなんか一生ふとんから出ない方が世のため人のためと思う朝あり

もう夏だって何回でも言いたい


目をたくさん開けて暑い日の大学通りを歩くと、強い日差しが細かい葉を通してボタボタ目の中に落ちてくる。強引に笑わされてる時みたいな気持ちになる。


その下を歩く人たちには強い影と光が繰り返し繰り返し何度も当たって、その人の中を流れてる血とか水とかが透けてみえている気分になる。

この街でいちばん太くて長い道を歩いている。わたしの腕にも繰り返し繰り返し日差しが、すごい日差しが影を叩きつけていて、わたしの腕がとても美しい。

ママは死ぬつもりがない


死ぬつもりがないからさんざんわたしを甘やかしたんだと思う。叱ることなんかなかったって。

「だってなにが欲しいとかわめくこともなかったし」

それはなんでもひとつなら買ってもらえたからだと思う。わめく必要がなかったんだもん。


たぶんわたしは4才くらいまでパパの顔を覚えられていなかった。仕事でお家にいないし、休みの日は友達と釣りに行ったりしていたし。パパは帰りにいつもお土産を買ってきてくれた、セーラームーンのメンコとか。今思うとセーラームーンのメンコってなんだよなあ。マーキュリーでタキシード仮面をひっくり返してどうすんだ。


ママのパパはわたしの名前を死ぬまで間違っていたんだって。ずっとノバナって呼んでたんだって。ママは自分の子どもを抱っこして欲しくてわたしを作ったのに、自分でつけたサイコーの名前を間違って呼ばれるのは嫌じゃなかったのかな。ママはわたしのことなーちゃんって呼ぶ。そんなに気に入ってつけた名前なんだからちゃんと呼べやと思ってる。おじいちゃんはわたしが生まれた5ヶ月後にわたしのとなりのベッドで死んだ。


思い出した、ママは死ぬつもりがないんじゃなくて、86才で死ぬって決めてる。