べしょ
金麦を2本買って、1本飲みながら帰って、おうちついてご飯食べながらもいっぽん飲んだらもうべしょべしょに爆睡してしまうやつを二夜連続でやってしまった。
こういうことをしてしまうことを「人間味がある」と呼ぶ男の子がいたなあと思い出した。元気だろうか。社会性の網から溢れた部分が人間味なんだろうか。ふと見えるから魅力的なだけで、それはバンバン出ちゃってたらただ生々しいだけなんじゃないだろうか。
きょうは仕事でイラついてしまって反省です。よくなかった。
もう好みのタイプなんざわたしと話せる人です、わたしと話して疲れなくて傷つかない人。
日々の労働
株主ときみの細かいまばたきを同じ心でわたしは愛する
「あんなもの絶対入れない」くせっけの上司が憎む納豆のからし
ばあさんと野菜を家まで届け終え西日を背負って八百屋へ帰る
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バチっと目を開けたら布団の中で、カーペットのシミを見ていた
急に「至らないのはわたし」というような気持ちになる、二側面のどちらにおいても至らないのはわたしという気持ちに。
うだうだいってもそれしかないよね最終的には、というか、この現状でないものを見ていてもどうしようもないね。わたしは何人かいる。カーペットのシミから目を背けられないわたし、ものすごく笑顔のわたし、焼けた体にパンパンに詰まっているちいさな歯車は、すぐにジャラジャラ音を立ててたくさんこぼれる
羽が生えたら湖畔に行きたい
時間は前から来ている
時間は前から来て背中で一本になってる、だから過去は一種類。
夏は前から来てる、冬は後ろから来ている。だから夏が来るのは見える。冬はわたしには見えない
春はたぶん下から来る。秋は夏に手を引っ張られて来る。秋はきっとほんとうは来たくない。
きみは後ろから来たけど、わたしには来たのが見えていた。だからきみは四季じゃない。
えらべない
関係性は選べない。変わっていくけど、よくもわるくもわたしにはどうしようもないことなのですね。関係性は選べない、わたしがきみをどうやって大事にするかは選べない。ただ嫌なことは嫌だと言ってうれしいことはうれしいと伝える以外に術はない。関係性は選べない。
関係性をみていると、きみのことも自分のこともを見失う。関係性はあしたの天気に似ている。雨は嫌だけれど、正直あしたがくるならなんでもいい
待っているから絶対に来なさい
与野のおばちゃんから電話があった。おじさんのケータイからだったから「まさか死んだか」と思って出たらなんてことはない、着物をもらって野花に似合いそうだから見に来なさいだって。
おばちゃんが結婚したのは遅くって、わたしが3才くらいのとき。急に親戚におじさんが登場した!って違和感もいとこたちに比べたらわたしは薄かったのかも。
血の繋がってないおじさんのことが結構好き。うちの親族と違っておしゃべりじゃなくて、声が小さくて、だまーって真っ赤になってお酒飲んでるの。畳屋さんなの。
「最近元気?」ってお正月に聞いたら「はやく死にてえよォ」って言っててメッチャ笑っちゃった。パチンコと競馬で入院費用を賄う夫婦。何十年も黒猫を飼い続けてて、名前はみんなずーっとアオちゃん。いまのアオちゃんは四代目、わたしのことがとってもキライ。